法然上人第九番霊場 西山国師十四番霊場

  • 奈良県葛城市當麻1263

  • 0745-48-2008(代)

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奥院と縁ある人々

2019/01/20 公開

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聖阿上人、、、

奥院の第41代で、戒名は審蓮社諦譽上人聖阿一如現定大和尚

徳本上人の弟子として江戸末期、荒廃がすすむ寺をいくつも復興した名僧です。いまでも近隣の住宅に名号の掛け軸が残ることから、人々に慕われていた様子が想像できます。奥院では庫裏を復興し、寒牡丹で有名な近隣の石光寺も聖阿上人によって復興し、中興上人として奉られています。

来歴

1767年、大和国畑ヶ田(香芝市尼寺)池田与三兵衛の六男として生まれる。

1777年、京都知恩院に入り、知恩院57世檀譽貞現上人のもとで剃髪得度。最初は現察と名乗ったが、のちに現定と改める。

1780年、江戸小石川伝通院42世統譽円宣上人に師事し宗乗を修める。在寮中、50日間の如意輪供を修する。

1791年、京都清浄華院にて徳本上人に出会い弟子となり、名を本定と改め随従するようになる。

1803年1月11日、京都鹿ヶ谷法然院の住職となる。第17世

1807年5月7日、法然院を辞したのち、奥院の住職となる。

1816年、奥院庫裏を再建する。

奥院の復興に尽力し、多くの弟子を育成する。特に尼僧の養育に力を尽くした。

1837年2月17日、尼寺として香塔寺(王寺町畠田)を復興。同時期に禅月庵(滝田)、春日庵(三宅町)を建立。

晩年、奥院を弟子の現阿に任せ、石光寺に隠遁。律院として再興し、普照律院石光寺と号す。常行念仏三昧の生活の中、往生を遂げる。

・徳本行者十大弟子の一人

・浄土宗捨世派

・明治の福田行誡上人は孫弟子にあたる。

↑奥院に残る名号石↑

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