法然上人第九番霊場 西山国師十四番霊場

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死んだらどこに行くの?

2018/03/17 公開

ブログ

先日、ご参拝の方からこのような質問を受けました。

「人は死んだらどこに行くのですか?」

死後の世界は、世界各地の信仰に応じて様々ございます。
私は僧侶ですから「仏教では、、、」というお答えしかできませんがお答えさせていただきます。

まず、私たちの命について考えます。
仏教では、命は「輪廻(りんね)」します。
「輪廻」とは生まれたら死ぬ、死んだら生まれ変わる。ということです。

「前世(ぜんせ)」という言葉もよく聞きます。「前世」とは「今の姿の私の一つ前の命の姿の私」。文章にすると表現が難しいですね。よく前世は武士だとか貴族だとか文豪だとかいろいろおっしゃいますが、ほとんどの人が前世の記憶を持っていません。私もわかりません。
前の命を終えた後、たまたま今の父母の子としてこの世に人間として生まれた私。
そして、いつまであるかわからないこの命を終えた後に、また別の命に生まれ変わる私であります。ちなみに後の命を「後世(ごせ)」や「後生(ごしょう)」や「来世(らいせ)」と言います。

「前世」→今→「後世」

今は私も皆様も人間です。
でも、前世や後世が人間だとは限りません。
仏教では、「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」「人」「天」という6つの世界が有り、そこをグルグルと巡るのです。「六道輪廻」と言います。

「地獄」とは私たちが想像できないような最大の苦しみを、私たちが想像できないような最長の時間受ける世界です。
「餓鬼」とは何も食べることのできない飢えの世界です。
「畜生」とは弱肉強食、狩りつ狩られる動物の世界。食べられるために生かされる世界です。
「修羅」とは無限に終わることの無い争いの世界。戦の世界です。
「人」は人間の世界。生老病死など多くの苦しみに怯え苦しむ世界。
「天」とは天界。神様の世界。しかし、寿命が長いといっても衰えと死があり、その苦しみは人を何倍も上回ります。

自分は前世は、ひたすら人間にこき使われやせ衰えた牛だったかもしれない。
車輪に踏まれるカエルだったかもしれない。
短い命しかもたないカゲロウだったかもしれない。
いや、長い飢えの苦しみの世界、地獄の業火からやっと免れてなんとか人間に生まれることができたのかもしれない。
前世もわからない、後世もわからない。前世でも後世でも苦しみから逃れることができない。
これが六道輪廻です。

「自分が輪廻するのを止めよう」

と、悟りを開いたのが仏教を開いたお釈迦様。
「輪廻」から「解脱(げだつ)」して「仏」になりました。
と、文章でさらっと書いていますが、ここでは書き切れない大変なことです。

お釈迦様は、人々に苦しみを離れる方法を教えて下さいました。これが今あるお経です。
浄土宗は、お釈迦様がお話になった別の仏様「阿弥陀仏(あみだぶつ)」様の「極楽浄土(ごくらくじょうど)」を目指そうという宗教です。
この世ではとうてい修行ができない私。
善いことをしたい、清くありたい私たちですが、残念ながらそうはなれず、
知ってか知らずか罪と悪とを重ねてしまう私。
そんな人々までも救おうとして下さる阿弥陀様を信じて、極楽浄土を目指そうよ。
「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と称えたならば救うという仏様のお誓いを信じて救っていただこうよというのが浄土宗の宗旨です。

なので、最初の質問「人は死んだらどこに行くのですか?」には、
どこに行くのか今のままではさっぱりわかりません。恐ろしいことです。だからこそ、南無阿弥陀仏と称えて阿弥陀様の極楽浄土へ救っていただきたいです。
とお答えさせていただきます。合掌

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