法然上人第九番霊場 西山国師十四番霊場

  • 奈良県葛城市當麻1263

  • 0745-48-2008(代)

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當麻寺奥院(たいまでらおくのいん)概要

當麻寺最大の塔頭である奥院は、浄土宗総本山知恩院(京都市東山区)の「奥之院」として応安3年(西暦1370年)に建立されました。

當麻寺奥院境内

▲落ち着いた雰囲気の秋の當麻寺奥院境内

奥院を開山した誓阿普観上人は、知恩院の12代目の住職でもあります。当時、京都は南北朝分裂後の混乱で常に戦火の危険性に満ちていました。法然上人の夢告を得た誓阿普観上人は後光厳天皇の勅許を得て、知恩院本尊として安置されていた法然上人像(重文)を選択本願念仏集(重文)や法然上人所縁の宝物とともに、當麻寺へと遷座し往生院(今の奥院)を建立したのです。以来、知恩院の住職が極楽往生を遂げる地として住職5代に亘り當麻寺奥院へ隠遁し、法然上人像を守りました。知恩院と対をなす奥院は浄土宗の大和本山として念仏流通と僧侶育成の道場となり、また當麻曼陀羅を日本全国に広める役割も果たし、多くの人々の信仰を集め、今日まで護持継承されて来た名刹です。

本堂(重文)、大方丈(重文)、楼門(重文)、阿弥陀堂、庫裡等、今に残る伽藍に往古の宗教活動の偉大さがうかがわれます。

法然上人二十五霊場 第九番札所

南無阿弥陀仏の称名念仏を日本に起こし、他宗からも念仏の元祖として慕われる法然上人
法然上人の御遺跡を巡るのが法然上人二十五霊場巡拝です。

當麻曼陀羅

▲奥院本堂にある當麻曼陀羅(例年11月一般公開)

  

當麻寺は中将姫が蓮糸で織りあげた當麻曼陀羅で名高く、極楽浄土に近い地として信仰されてきました。法然上人も當麻曼陀羅を拝し称名念仏を修せられたという説もあります。また、源平期の武士、桑原左右衛門丞が法然上人の弟子となり創りあげた法然上人の尊像は、法然上人が在世のときに創られた唯一の木像として知られ、最初は知恩院の本尊として祀られた後、知恩院第12世誓阿普観上人によって、応安3年(西暦1370年)に遷座されて、知恩院奥之院の位置づけであることから、當麻寺奥院は法然上人二十五霊場第9番札所となっています。

法然上人像(重文)とともに知恩院からは、選択本願念仏集(重文)、勅修御伝(四十八巻伝)副本(重文)など知恩院創建時の宝物が移されました。

選択本願念仏集

▲奥院宝物館に保管されている選択本願念仏集

西山国師霊場 第十四番札所

西山国師とは法然上人の弟子であり、西山浄土宗の開祖である証空上人のことです。
法然上人の御遺跡を巡るのが法然上人二十五霊場巡拝です。

當麻寺本堂

▲當麻曼陀羅厨子は當麻寺本堂でご覧いただけます。

 

証空上人は嘉禄の法難を免れたのち、二上山西麓にある叡福寺参詣の折、當麻寺にある當麻曼陀羅の存在を知り、寛喜元年(1229年)に初めて當麻寺を訪れています。中将姫の當麻曼陀羅が中国は唐代の高僧善導大師の観無量寿経疏に基づいて創られていることを突き止め、以来十数年に亘り當麻寺の寺僧として當麻曼陀羅の写本を数多く創り全国の著名な寺院に奉納し、念仏の教えと共に広められました。証空上人の活躍は顕著であり、當麻曼陀羅厨子(国宝)の扉には証空の呼びかけによって結縁を結んだ当時の著名人の名が連なっており、當麻寺寺僧筆頭として証空上人の名も見ることができます。

西山国師霊場は証空上人の御遺跡地である十六霊場を巡拝します。

當麻寺の表記について

「当」は「當」の新漢字であり、「当」という字ができる前からお寺はありますので「當麻寺」が正しい表記です。駅名や新聞などは常用漢字を使用する原則のため、「当麻寺」と表記されます。「たいまでら」と読みます。

異なる宗派で護るお寺

當麻寺は創建当時三論宗を奉じていましたが、今は浄土宗と真言宗という異なる宗派によって護持される全国でも珍しいお寺です。
これは、當麻曼陀羅が宗派を超えて多くの人々に信仰されたことによります。法然上人や弘法大師以外の高僧や祖師も當麻寺を訪れています。古来の名残が今も宗派の形として残っています。

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