法然上人第九番霊場 西山国師十四番霊場

  • 奈良県葛城市當麻1263

  • 0745-48-2008(代)

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中将姫の伝説

中将姫の伝説

當麻寺の本尊である當麻曼陀羅を蓮糸で織りあげた中将姫。
中将姫は藤原鎌足の孫にあたる豊成卿の娘として生まれました。
中将姫の足跡と當麻曼陀羅誕生の伝説は下記のとおりです。

中将姫の誕生

豊成卿とその妻紫の前は、長らく子宝に恵まれず奈良の木本明神に参拝に向かいました。その七日後に初瀬の寺の観音様にお願いするようにという声を聞き、今度は初瀬の寺に向かいます。
何日かの祈願の末、観音菩薩様が現れ、菩薩様が2人の子供を三千世界中探しますが見つけることができません。そこで観音菩薩様は夫婦のうち一方の寿命と引き換えに子どもを授けることができることを伝え、夫婦に意志を確認します。
二人はたとえ寿命が縮んでしまっても子が欲しい旨を観音菩薩様にお伝えしました。すると観音菩薩様は蓮華一茎を授け、その蓮華を我が子と想い育てるようおっしゃられました。
その後生まれた夫婦の子が後の中将姫です。

幼少期の姫と称讃浄土経との出会い

宝物館で展示されている称讃浄土経

▲宝物館で展示されている称讃浄土経

  

観音菩薩様が夫婦に伝えたところ、姫が3歳の時にどちらか一方が命を落とすはずでしたが4歳になってもその気配はありませんでした。

親子が3人で庭園に出て楽しんでいると、1匹の白狐が1巻の御経を姫の前に置きました。姫が取り上げて見ると称讃浄土経と題のついた御経で、それ以後姫は毎日欠かさずこの御経を拝みました。

母の死と継母

姫が5歳の頃、とある宴で母である紫の前が観音菩薩様のおっしゃられた時期を過ぎても夫婦ともにあることを、誹謗したことで罰を受け命を落としてしまいます。
姫七歳の頃。桃の花を見に出ていた中将姫は仲の良い親子を見て、父豊成卿に再び母を迎えるようにお願いされました。
母を亡くした姫を不憫に思った豊成卿は姫にとって継母となる照夜の前を迎えました。
初めは問題がなかった継母と姫の関係ですがとあるきっかけで照夜の前は中将姫を恨むようになります。

継母に命を狙われる中将姫

照夜の前は執拗に中将姫を狙いますが、周囲の人物の機転でことごとく危機を脱します。
美しく成長した中将姫の噂は時の天皇の耳にも入るほどでした。
姫が14歳の頃、照夜の前は一層中将姫の恨みを強くして豊成卿の留守に嘉藤太という配下に命じて姫の殺害を企てます。
姫を屋敷から連れ出し、一行は宇陀のひばり山に向かいました。
ひばり山に着くと嘉藤太は姫に事情を説明し、刀を構えます。
姫はこれも自らの因果と覚悟を決め、嘉藤太に日々欠かさず拝んでる御経を読ませてくれるよう頼みます。その姿を見ていた嘉藤太はその姿に感銘を受け、姫を匿うことを決めたのです。

再び屋敷に戻る姫

姫が15歳の頃、狩りに出かけた豊成卿と中将姫はひばり山で再会を果たします。
ひばり山の一件は留守を照夜の前に任せた自分にも責任があると考えた豊成卿は照夜の前に告げず、密かに姫を屋敷に戻しました。
しかし、後にその事を伝え聞いた照夜の前は罪の意識から身を投げて命を落とすのです。
さらに一年が過ぎた頃、姫は豊成卿に出家の意志を伝えます。
釈尊の逸話を思った豊成卿は反対することなく姫の出家を許します。
この時、姫が向かった寺こそ霊峰二上山山麓の當麻寺でした。

中将姫の出家

金堂の弥勒如来坐像

▲金堂の弥勒如来坐像

 

當麻寺で一度は再考を促される中将姫でしたが、當麻寺の境内に住むと言う尼に声をかけられ、その後はその尼のもとで修業を行っていました。
その修業が認められ、中将姫は正式に當麻寺に入り中将法如という名前をいただきます。尼はその様子を確認すると姿を消そうとします。
中将法如は尼に浄土経を手渡します。
尼が去った翌日、中将法如が金堂に向かうと弥勒仏の手にその御経が握られていたのです。

當麻曼陀羅の誕生

綴織當麻曼陀羅(奥院本堂)

▲綴織當麻曼陀羅(奥院本堂)

 

その後中将法如は称讃浄土経一千巻書写されるのですが、さらに中将法如にはもう一つの大願がありました。
それが生きながらにして阿弥陀如来の極楽世界を拝みたいということでした。

そんな時本堂にて毎日念仏読経していると、そこに老尼が忽然と現れたのです。
中将法如が相談すると老尼は蓮をたくさん集めるように言われました。
中将法如は方々にお願いしなんとかたくさんの蓮を集め糸にしました。その様子をうれしそうに見た老尼は糸を織り始めることを促しました。
この時中将法如が千手堂(曼陀羅堂の前身)にて一夜にして織りあげたのが當麻曼陀羅です。
そして老尼は阿弥陀如来に姿を変え、中将法如に13年後に迎えに来ると伝えたのです。

中将法如、極楽浄土への旅立ち

曼陀羅堂の中将姫座像二十九歳像

▲曼陀羅堂の中将姫座像二十九歳像

 

阿弥陀如来との約束通り、中将法如が29歳になった春。當麻寺では桜や梅、桃の花が咲き誇ったと言われています。その年の弥生の満月の日。阿弥陀如来とニ十五菩薩が来迎され、中将法如は極楽浄土への旅立だったと言われています。
この時の模様を再現したのが今でも當麻寺で毎年開催されている練供養会式で、その回数は現在1000回を超え、全国各地で見ることができる練供養は當麻寺の練供養を模した会式だと言われています。

※練供養会式は長い間5月14日に開催されていましたが、令和元年以降は本来の命日に近い毎年4月14日に開催日が変わりました

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